紅葉狩りはなぜ「狩り」と言う?分かりやすく徹底解説!
モミジを見に行くことを紅葉狩りと言いますが、なぜ「狩り」なのか、疑問に思ったことはありませんか?
「狩り」というと、獲物を捕らえることをイメージしますよね。
また「いちご狩り」や「ぶどう狩り」など、実際にもぎ取る場合に使われます。
しかしモミジは見て楽しむものなのに、なぜ「狩り」が使われているのでしょう?
その理由は、平安時代の貴族達が関係していました。
秋の行楽シーズン、紅葉狩りに行く方も多いと思います。
より深く楽しむために、ぜひ最後まで読んでから出かけてみてください。
紅葉狩りとは何をすること?
紅葉狩り(もみじがり)とは、野山に行って赤や黄色に色づいた落葉樹を見て楽しむことです。
平安時代から紅葉狩りの風習はあり、江戸時代になると世間一般にも親しまれ、多くの人がモミジを見ながら食事などを楽しみました。
日本最古の和歌集「万葉集」にも、多くの歌が詠まれています。
万葉集では「黄葉(もみち)」と記載されていて、赤よりも黄色に色づく葉の方が注目されていたようです。
「狩り」という言葉を使う理由
「狩り」には狩猟という意味の他に、「山や野原に行って植物を観賞する」という意味もあるんです。
狩り=観賞する、という意味になったのは、平安時代の貴族の習慣がもとになっています。
モミジを見るためには山奥へ行く必要があったのですが、平安時代の貴族は「自分で歩くのは下品」とされていました。
たしかに、やんごとなきお方は牛車に乗って移動するイメージがありますね。
しかし山道を牛車で上るのは困難なので、歩いて行く必要があります。
そのためモミジを見るために山へ行くことを「狩り」と称しました。
「狩りだから歩くのはあたりまえ。下品じゃない!」となり、紅葉狩りという言葉が使われるようになったのです。
わざわざ言い訳をしてまで行われた紅葉狩り。
たしかに山一面が赤や黄色に彩られるのは絶景ですから、その気持ちはなんとなく分かります。
ちなみに、江戸時代で牛肉を食すことが禁止された時、牛肉を薬と言って食べていました。
精を付けるための薬、あくまで薬だから違法じゃない、ということらしいです。
言い訳をしてでも好きなものを我慢したくない!というのは、我々日本人のDNAに深く刻まれ、脈々と受け継がれていそうですね。
もうひとつ「本当に狩っていた」という説もあります。
枝を折って手に取り楽しんだようなのですが、もちろん現在ではマナー違反です。
手元が寂しいのであれば、おやつやお弁当を持って行き、目と舌で紅葉狩りを楽しみましょう!
なぜ「桜狩り」とは言わない?
植物を観賞することを「狩り」と言うのなら、桜を見ることを桜狩りと言っても良さそうですが、そうは言いませんよね。
しかし日本国語大辞典には「桜狩り」という言葉が記載されており、明治あたりまでは実際に使われていました。
なぜ現在では桜狩りと言わないのかは分かっていませんが、こちらも貴族の行動がきっかけだという説があります。
現在の街中に植えられている桜の多くはソメイヨシノですが、これは品種改良によって江戸後期に生まれた桜です。
平安時代では桜といえば山に自生する山桜でした。
山桜の美しさに感動した貴族たちは、やがて人里に多くの桜を植えます。
宮中などにも植えられ、花見の宴を催し、桜の歌もたくさん詠まれました。
身近に桜があることで、わざわざ桜を狩りに行く必要がなくなり、「桜狩り」よりも「お花見」が定着していったのです。
鬼女の紅葉伝説
紅葉狩りに関して、少し怖い伝説もあります。
舞台はパワースポットとしても人気の長野県戸隠。
平安の昔、「呉葉(くれは)」という美しい娘がいました。
京に移り住んだ呉葉は「紅葉(もみじ)」と名を改め、源経基(みなもとのつねもと)の寵愛を受けましたが、経基の奥方に呪いをかけた罪で、戸隠に追放されてしまいます。
しかし京の優雅な暮らしが忘れられず、京へ行くための路銀を得ようと村人を襲うようになりました。
「戸隠に鬼女がいて、人々を襲っている」という噂が朝廷の耳に入り、平維茂(たいらのこれもち)に討伐の命が下ります。
しかし出撃するも、紅葉の妖術に手も足も出ません。
その場は撤退して神仏の力を借り、降魔の剣を授かります。
妖術は剣の力で無効化され、紅葉は維茂に討たれました。
この紅葉伝説を元に、能や歌舞伎で「紅葉狩」という演目が生まれ、多くの江戸の庶民を楽しませました。
「紅葉狩」を見たあとに実際に紅葉狩りに行くと、そこには鬼女の血で染まったような真っ赤なモミジが。
今でも定期的に「紅葉狩」は上演しているので、舞台を見てから紅葉狩りに出かければ、ひと味違う紅葉狩りが味わえるかもしれません。
紅葉狩りはなぜ「狩り」と言う?分かりやすく徹底解説!【まとめ】
紅葉狩りをなぜ「狩り」と言うのかというと、狩りには「野山で植物を観賞する」という意味があるからです。
歩くのが下品とされた平安時代の貴族が、歩くのがあたりまえの「狩り」と称したことがきっかけでした。
私達も仕事や学校が忙しくても、秋になれば一度くらいは紅葉狩りに行きたくなりますよね。
時代は移り変わっても、我々日本人が紅葉狩りを愛する心は変わらないということです。
紅葉狩りは日本が誇るべきすばらしい文化なので、ぜひ行楽シーズンに出かけてみてください。